 >  対談一覧  >  第15話『キャバクラ店長、IT企業に就職する』
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「キャバクラ店長生田」が「コムデック生田」になるまで
キャバクラで社員になって、すぐに店長に抜擢されたんですか?
ホールの仕事ができるようになって、お金の計算も間違わない。そして“回し”の仕事もできる。
走攻守そろってきたわけです。
 生田
生田 安田
安田店長になる条件が整ったと。
はい。そして、ちょうどその頃「アナログの極み」といわれた夜の世界にITが下りてくるんです。
 生田
生田 安田
安田え!ITが下りてくる?
今までのレジは「1万5,000円、チーン!レシート、ジジジジ……」みたいな感じだったわけです。
そこにIT が降りてきた。
 生田
生田 安田
安田どんなITですか。
パソコンとレジが一体化した、いわゆるPOSレジが出てくるんです。
 生田
生田 安田
安田へぇ~
POSレジを使えばテーブルマネジメントもできるし、電卓をはじく必要もなければ、ドリンクが入ったときに「正」の字を書いていく必要もないわけです。
 生田
生田 安田
安田「正」の字を書いてたんですか!
そうなんですよ(笑)今まで紙とペンでやっていたのが、マウスやタッチになったわけです。
苦手な人からしたら「なんじゃこれ」って話で。
 生田
生田 安田
安田なるほど。生田さんはそれが出来たと。
はい。僕はそこがすぐ出来ちゃって。
 生田
生田 安田
安田それで出世していったわけですか。
そうです。当時はアナログの店をいっぱい出していて。僕がPOSレジ普及係みたいなのをやったんですよ。
 生田
生田 安田
安田当時は何店舗ぐらいあったんですか。
三重・名古屋で10店舗以上ありました。
 生田
生田 安田
安田けっこう大きな会社ですね。
最後に辞めたときは20店舗ぐらいあったと思います。
 生田
生田 安田
安田凄いですね。そこのIT責任者になったわけですか。
いや、IT責任者みたいな人は外部にいるんです。
けど夜は来ないし営業中にベッタリいるわけでもないので。僕がサポートしてました。
 生田
生田 安田
安田その活躍が評価されて店長になったと。
POSレジを通じていろんな店を見る機会が増えて。経験も積ませていただいて。
新たな店が鈴鹿にできた時に「おまえが店長としてやれ」と。23歳の夏でした。
 生田
生田 安田
安田23歳で店長!凄いですね。店長になると給料はどれぐらいになるんですか。
給料は高かったです。固定で40万プラス利益の10%の歩合。だいたい月50万から80万ぐらいですかね。
 生田
生田 安田
安田パチスロの収入を超えたわけですね。
超えました。しかも、お金を使う時間がないですから、どんどん貯まっていく。
 生田
生田 安田
安田店長になってから何年ぐらい働いたんですか。
じつはそんなに長くなくて。6か月ぐらいです。
 生田
生田 安田
安田せっかく店長になったのに6か月で辞めちゃったんですか。
辞めました、はい。店長になったら状況が変わってしまって。
 生田
生田 安田
安田何が変わったんですか。
いろんな人に足を引っ張られて、上司も僕を信用しなくなっていきました。
好きだった店長とも同じ立場になってしまったし。
 生田
生田 安田
安田その人と仲が悪くなったんですか。
いえ、そんなことはないです。ただ店長になると、更に上の人と人間関係を作っていく必要があって。
そういうのが得意じゃなかったんです。
 生田
生田 安田
安田店長に可愛がられるスキルと近い気がしますけど。違うんですか。
単純にその人が好きだったからうまく付き合えたわけで。
年上と付き合うのが得意ではないし、上の人に取り入るのも苦手で。
 生田
生田 安田
安田出世のための社内営業ができないタイプですか。
そんなのやったことないですね。
 生田
生田 安田
安田組織で上に行こうと思ったら社内営業は必要ですよ。それが出来なかったと。
出来ませんでした。
 生田
生田 安田
安田店長としての仕事は面白かったんですか。
めちゃくちゃ面白かったし、結果も出してました。
 生田
生田 安田
安田辞めるって言ったら止められませんでしたか。
みんなが止めに来ました。だけど「いや、辞めます」って。
 生田
生田 安田
安田決意は固かったんですね。
決意が固かったというより、もう疲れちゃったって感じですね。
 生田
生田 安田
安田それは人間関係に。
人間関係と、ずっと週6で働き続けることに。「このまま夜の仕事をやり続けていいのか」という不安もありました。まだ24歳だったので。
 生田
生田 安田
安田それで昼の仕事をやろうと決めて、コムデックに入ったわけですね。
まず大学に戻ろうと思って教授にあいさつに行きました。
そのとき既に7回生で「お前はもう背水の陣だ」「ここまで頑張ったら卒業させてやる」って言われて。
 生田
生田 安田
安田頑張る気にならなかったと。
そうですね。大学は中退しようと決めました。
 生田
生田 安田
安田コムデックに入ったのは何かコネがあったんですか?
いや、ぜんぜんないです。インターネットで「三重 システム開発」って調べたら、たまたま出てきたのがコムデック。
 生田
生田 安田
安田システム開発をやりたかったわけですか。
やっぱり夜の仕事って劣等感やモヤモヤがあるんですよ。同級生は卒業して普通に社会人やってるし。
「今なにやってんの?」って聞かれて「夜の仕事」って言いづらかった。
 生田
生田 安田
安田それでITを選んだ。
「俺はITやってる」って言いてぇ。みたいな(笑)
それと、やっぱりPOSレジとの出会いが大きかったです。
 生田
生田 安田
安田なるほど。
POSレジのおかげで“回し”をしながらレジができるようになって。
ぶっちゃけ僕の能力が高かったのもあるんですけど(笑)「すげえな」と思いましたね。
 生田
生田 安田
安田回しとレジが同時に出来るとどうなるんですか。
重要な役割にコストの高い人間を2人つける必要がなくなる。コストの高い人が1人で済むわけですよ。
「これからはITだ!」って思ったのが2008年ですね。
 生田
生田 安田
安田そのとき夜の世界では月80万円ぐらい稼いでたんですよね。
そうです。
 生田
生田 安田
安田昼間の仕事はいくらだったんですか?
額面15万円でした。手取り13万5,000円から、もう一度やり直しです。
 生田
生田 安田
安田嫌にならなかったですか?
お金は関係なかったですね。「昼働けるんだ」「ITできるんだ」ってことが嬉しくて。
どんどんプログラムを覚えて「ああ、面白いな」ってハマっていくわけですよ。
 生田
生田 安田
安田仕事が合っていたんでしょうね。
プログラムはめっちゃ楽しくて。システムの設計も楽しい。プロジェクトマネージャーも面白い。
 生田
生田 安田
安田やる気満々ですね。
「人を動かすほうが面白い」「仕事取ってくるほうが面白い」って、1年半から2年で、どんどん役割が変わっていきました。
 生田
生田 安田
安田気がついた時にはコムデックの社長になっていたと。
はい。運命って不思議なもんですよ。
 生田
生田